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SEALDsをどう考えるか: 細川連立政権、民社党政権、反原発ムーブメントからSEALDsまで

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Text by 金田善裕または金田トメ

SEALDsのことをどう考えたらいいのかと東京にいる時期から考えていた。

カンタンに考えると、下図になる。日本の民主主義進展のメーターにも見える。

93年 細川連立政権誕生。日本、初の非自民連立政権。心の中で拍手喝采しました。東京の人間は全員、細川の味方になっていた。

09年 民主党政権誕生。政権交代が実現された。けっこうポジティブな変化の風があった時代で、年越し派遣村の村長、湯浅誠さんが内閣参与になったりと、アクティビストがいきなり政権に入るという面白い時代だった。

11年 福島原発事故+東北大震災 民主党政権の崩壊。

12年 反原発デモ、20万人が官邸前に集合。たまたま日本に帰っていて、その場に行った人達の話を翌日、福島県いわき市で聞いていた。ぼくは福島取材の最中。今にして思えば福島、反核関係については面白い緊張感がみんなあり、集まり、話をする時期でもあった。

15年 SEALDs誕生。学生たちの人気者が数ヶ月でマスメディアの中心人物になったという快挙。日本を思うとこの夜の春みたいな気がする時代。ただ、放射能汚染で東京などに帰ると必ず放射能病を何かもらって帰ってくる。いまだに東京には住めない。

今は春だと思う。プラハの春アラブの春という言葉があるが、日本は季節は違うが、気持は春のように見える。

時代を追って考えてみると、細川政権民主党政権まではマクロを相手の政治だったが、原発事故以後はミクロの政治である。人が一人、一人、声を上げる時代が来ている。間接性代議員を選ぶことが政治ではなくなっている。これはあてにできる議員がいない、間接代議員制度の限界が来ているなどあると思うが、とりあえず人に代弁してもらうのではなく、自分自身が積極的に政治に関わるスタイルだ。政治が間接的なものから直接的なものになっているのではないかと思う。それは政治にくわしくなるだけ政治の質を上げることにつながる。なかなか良い循環である。

民主党が福島事故にあれだけのデタラメをやったこと、福島県知事を佐藤(前知事)、内堀(現在の知事)と輩出しながら、決してアクティビストの味方には立たないという民主党主導の福島県のあり方を見ると、やはり選択肢としては、アクティビズムしかないという結論になるだろう。自民はダメ、民主もダメ、したらば、自分でやるしかない、これが国民の選択というものだろう。非常に面白い。

マクロの政治には絶望して久しい。最近の日本はとても好きだ。

 英文ブログ

Complex Absurdity: Fukushima Nuclear Accident | Alternative Journalism About Fukushima

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